武士達の無念の血が染込んだ血天井が祀られる京都の『養源院』へ潜入調査!

養源院

 京都市東山区にある豊臣秀吉の側室・淀殿が開基の浄土真宗遣迎院派の寺院、『南叡山 養源院』にやってきました!!

 この寺院には、関ヶ原合戦の前哨戦にあたる伏見城の戦いで徳川方として城を死守し、自刃した鳥居元忠以下一千名の兵士達の血で染まった廊下の床板を供養の為に当寺院の天井材として使われている事で有名です。

 また、豊臣、徳川の相対する両家の霊を祭る日本で唯一の寺院である事も知る人ぞ知られております。

 そんな戦国時代マニアが垂涎ものな寺院を観てみたいと思います!!




▼三十三間堂の前

正門

 この寺院は、住所が「東山区三十三間堂廻り町656」とある様に、計1,001体の千手観音が圧巻の日本を代表する寺院の一つ「三十三間堂」の前にあります。

 なので、当院へ訪れるには「三十三間堂」を目指せば来れますが写真の通り「門」がめちゃくちゃ、小さいです!!

 門だけで判断すると非常に小さい寺院なんだろうなぁと思ってしまいますが、しっかりとその思いを裏切ってくれるのでご安心下さい。

▼境内

境内

 上の写真では想像できなかった、めちゃくちゃ広い境内に驚きます!

▼白衣弁財天

神社

 境内に入って直ぐの右手には、七福神の一員で財宝神である「弁財天」を祀る『白衣弁財天』が安置されております。 ヘビは弁財天の化身とされる為、中には木彫りのヘビが祀られております。

 知らない人も多いのですが、仏教や日本では神道でも祀られる「弁財天」は元々ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーが、仏教に組み込まれ信仰されている神様です。

 また、前述の通りヘビは弁才天の化身と日本では言われておりますが、これは日本に仏教の一つとして弁財天が伝播した後に、「宇賀神(出自不明の蛇神)」と習合した為に出来た偽経(仏教の経典を中国や日本等で翻訳、解釈する中で生まれた元々の教えとは違う経典)と言われております。

 なので、弁財天の発祥地であるインドや、仏教が成熟した中国の経典には載っていないんです。

▼毘沙門天

神社

 養源院の境内には弁財天を祀る神社以外に、「毘沙門天」を祀る小さな神社も有ります。

 この神様もインド産で、インド神話の財宝神クベーラから発祥し信仰されたと云われており、中国で解釈される中で戦闘を行う武神となったと云われております。

 ちなみに、日本では四天王の一人として祀る場合は「多聞天」と呼び、独尊像として祀る場合は「毘沙門天」と呼ばれております。

 



▼歴史

大聖歓喜天

 では、境内を見ながら、本日訪れた「養源院」の歴史を順にご説明いたします。

 この寺院は、文禄三年(1594)に豊臣秀吉の側室・淀殿によって、かつて母の兄である信長に滅ぼされた自身の父・浅井長政と祖父・浅井久政の二十一回忌の供養の為に秀吉に願い創建した寺院です。 その為、浅井氏の菩提寺ともなっております

境内

 元和元年(1615)の「大阪夏の陣」で開基である淀殿と、秀吉との子である豊臣秀頼が自刃します。

 翌元和二年(1616)に、淀殿の妹である2代将軍秀忠正室の崇源院によって、淀殿と秀頼の菩提が弔われたました。

 しかし、3年後の元和五年(1619)に火災により焼失してしまいますが、元和七年(1621)に再興された際に徳川方として高い伏見城の戦いで散っていった将兵の血が染込んだ床板を天井材として使う事によって、徳川氏の菩提所ともなり、江戸時代末期まで手厚く保護される様になっております。

 ※写真にある石柱に書かれた「大聖歓喜天」とは、悪神が十一面観世音菩薩によって善神に改宗し、仏教を守護するとされる天部の神様の事で、元々ヒンドゥー教で生まれた象さんの顔を持つ神様「ガネーシャ」の事です。




▼本堂

本堂

 縦長に広い境内を進み養源院の「本堂」に到着しました。

 この本堂は、伏見城にあった殿舎を移築したものと云われております。

 さっそく大人500円/小学生300円を支払い堂内に入ります。

▼血天井

血天井 血天井

 本堂内をぐるりと廻る廊下の天井には『血天井』が供養の為、祀られております。

 観ると、手形、足形はもちろん事、大将の鳥居元忠の姿まで、しっかりと分かる程、血液や体液が酷く染み込んでおり、不気味な天井です。

 これだけ、血液や体液が酷く染込んだのは戦死や自刃した武将達の遺体が、真夏の8月頃から9月中旬まで放置されていた為に遺体が腐乱していたからと言われております。

石仏

 御堂内は、撮影が出来なかったですが、淀殿が最後まで持っていたとされる「御持仏」や、江戸時代初期に作られた位牌等、沢山の見所がありました。




▼さいごに

境内

 以上で、武士達の無念の血が染込んだ血天井が祀られる京都の『養源院』の御案内となります。

 日本でも珍しい、豊臣家、徳川家の相対する両家の霊を祭る寺院には、悲しき悲運を辿った淀殿の偲ぶ哀愁がありました。

 皆様も、是非とも訪れてみては如何でしょうか。 御精読有難うございました。




▼アクセス

住所:〒605-0941 京都府京都市三十三間堂廻リ656